90年代思想のエヴァ、00年代思想のヱヴァ(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 感想)

素晴らしい!!!! 


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破は間違いなく映画館で観ておくべき!


いやぁ、興奮し過ぎました。すいません。でも、偽らざる真実の気持ちです。
昨日、豊洲で二万人のニートごっこついでに観てきました。

これは正直劇場で観た事がアニオタどころか映画観る人間にとって後世ステータスになる類の作品だと思います。
ファンはもういわずもがな。正直、劇場で観て置かないと後々後悔する事になる確率が高いです。


90年代思想の象徴で体現者たるエヴァが00年代思想をも取り込むその様は圧巻の一言。

また、異端たる物語が改めて正統を取り戻し、血ではなく実力と器で王として玉座に咲いたその姿には
驚嘆を通り越して、賛美しか浮かばない。


将に汎用人型決戦兵器人造人間ヱヴァンゲリヲンのままに、時代の流れすらも捕食し取り込み
一歩先を示すメルクマールになっているとすら言えると思う。



取り敢えず、俺はもう何度か劇場に観に行きます。

と言う訳で、以後、ネタバレあります。
こんな辺境に偶々来た人も観てないのであれば絶対に観てから、読んで下さい。お願いします。

あれは映画館で観て欲しい。是非とも。

では、映画観てきた方で興味があれば、「続きを読む」をクリックで。




何から語ればいいやらで未だにこの話をしようとすると混沌として、自分の中でも収集が付かなくなるのだけれども、先ずは俺自身がエヴァとどう接してきたかを何より初めに明らかにして、色々感想*1を述べたいと思う。*2

現在22歳で、放送当時は8歳。しかも、タイトルからもそこはかとなく薫るように、九州の南の端っこで暮らしていた俺は当時リアルタイムで観る事が叶わず*3。確か初めてエヴァを観たのは、本放送が終わり所謂ムーヴメントが各地に伝播して再放送枠が組まれた1〜3年後だったように思う。何だか友達の兄貴が矢鱈めったらハマっていて、それ関連を貪るように集めていたのを横目で観て「そんなに面白いのかな」と興味を覚えて観た。


・・・んだけど、ぶちまけて言うと、始めは「よくわかんない」で観る事もおざなりだった。

エヴァ自体もメカっぽくないし*4、何だか特撮みたいだな、と思っていたのは良く覚えている。結局、その再放送も何だか解らなくて最後まで観る事無く、何時の間にか忘却の彼方に忘れ去っていった。


でも、弁解させて貰うと、それはしょうがなかったなーと思う。あれは小学生じゃ何もクる物はないもの。唯一、エヴァそのものとキャラクター造形ぐらいで。そのエヴァもあんまり本チャンの出番は無いし、出てきたら出てきたで「歩いた!」だの地表に出た途端にレーザーで一撃だの、だしね(笑)


まぁ、そんなこんなでエヴァが彼方から戻ってきたのは15,6歳の時。
もう一回、きちんとオタク(笑)として勉強し直してから、きちんと観なかった「エヴァ」って面白いらしい、と聞き、視聴。

この時、漸く、フルで全話を視聴しきったんだけども、その時の俺の感想は


「すげー気持ち悪い」


だったんだよねー(笑)
まぁ、でも、さもありなん。あんなに人間を(人間の負の部分ばかりを)極端にデフォルメした作品だもんなー。
唯一、好きになれたのがトウジだったくらい。

総じて観ると、気持ち悪いけど、エヴァは独特で格好よいし、作画もスゲーぐらいの意識だった。確かに話の部分でも面白さはあるんだけれども、それより何より違和感が大き過ぎてハマる事は決して無かったのが俺の今までのエヴァ経験。



さて、長々と自分語りで苦痛だったかもしれないけれども、漸く此処から本編の内容に触れつつ、つらつらと語っていきたいと思います。

本編内で、全て見終わって始めに感じたのは、

「これはシンジが遣り残したことをやり直すもう一つの可能性としてのエヴァなのか」

という事。


TV本放送版での登場人物達の其々の後悔があの補完によって終わった*5世界から、もう一度ループした世界の話なんだと思うと凄くすっきり来るんだよね。

「破」の冒頭と合間合間に出てくる碇ゲンドウの息子との関係性での後悔。

葛城ミサトの歪だった失敗作である母性を再構築したいと言う後悔。

または、式波・アスカ・ラングレーの大人を目指す中での子供でいたかった衝動と「普通」を得たいという願望への後悔。

そして、何より、誰より、碇シンジの抗う事に失敗した惨めさからの脱却へと前進する力強さを求める後悔。

其々がTV放送、詰まり、前回の世界での失敗を無意識下で覚えているからこその「あの」物語展開なんじゃないだろうか。

で、そのループが何故セカンドインパクト前でなく、シンジの登場からなのか。それこそ、将にこの世界の物語から選ばれたのが主人公たるシンジからで、彼が全ての元となるのはユイの子供である事もとても大きなファクターなんだと思う。

綾波があそこまで変革している事にも頷けるのは、彼女自身も新劇場版においてはこれまでの「綾波レイ」と言う存在の意識集合体として存在してるように感じるから。「何人でも変わりがいる」綾波が現存在として今の世界に集合した時、その中に強くユイの輪郭が浮かび上がり

「食事は楽しい?」
「皆で食べる食事は楽しい?」
「碇君達、皆と食事しませんか?」
と言う台詞と共に、ゲンドウは彼女にユイをはっきりと観たんだと思う。

綾波に関しては、ユイの輪郭の強さが本当に際立っていて、でも、それはあくまで輪郭であって「真実なる」綾波レイという存在が掻き消えることなく、存在として愛でなく情を獲得している事にも納得できた。

彼女は碇ユイの輪郭を備えた綾波レイと言う存在で、だからこそ、「ぽかぽか」は「ぽかぽか」であり、燃えるような愛とは一線を画す、慈しみのような情をシンジに与えたい、シンジとゲンドウと皆に与えたいと発言したのだと思う。

シンジにしても当時TV放送で発言していたら受け手から流されるような「綾波に代わりなんかいない!」は劇場版だからこそ、重要で心に響く訳で。一緒にいてドキドキするとかそういう感情じゃなく、一緒にいて安らげる。そういう関係性になった訳で、個人的にはマチズモめいていてヒロイックな意味であの台詞を安易に捉えるのは何だかしっくり来ないなと思わなくもない。


また、シンジといえば、今回は前回の序よりも更に決断主義的な側面を強めていたように感じる。
使徒との戦いの中でも「僕が行く!」「アスカ!早く!」等の台詞の印象も全くTV版の他の台詞の印象とは違うし、何より
一度逃げたシンジがもう一度戻ってエヴァに乗せて欲しいと頼むあの場面は、まるきり「再契約」の場面で



「僕はエヴァンゲリオン初号機パイロット碇シンジです!!」



の力強い自己選択に言葉を詰まらせるゲンドウのシーンには実にモダンさを感じたな。



ミサトにしても

「行きなさい!シンジ君!誰かのためではなく、自分自身の願いのために!」

も拗れた自己感情と失敗した母性から本放送では決してシンジに言ってあげる事が出来なかった言葉。



つまり、どの登場人物にも後悔があって、その後悔を果たすチャンスをこの物語に彼らは得たんじゃないだろうか。

特に俺がその絵空事を強く感じたのは、ラストのラスト。



カオル君の「シンジ君。今度こそ、君を救ってあげるよ」と言うあの台詞。この「今度こそ」の台詞こそ、使徒として神に近しい存在であるカオル君がループに自覚的であるんじゃないかと言う印象と共に、何より、この台詞は監督自身の代弁でもあるんじゃないだろうかと絵空事を思いつくに至った場面。前の世界(TV放送)で救えなかったシンジを今の世界(新劇場版)で救ってやりたいと言う神(詰まり、創作者である監督)の代弁者が将にカオル君だったように感じた。




と言う訳で、そんなこんなで90年代思想評論で良く語られる「他者を傷つけるのならば、あえて他者とは断絶する事を選択する」と言う思想体系よりはゼロ年代思想的、決断主義的な「それでも、あえて世界を、他者を求めていく」と言った思想体系の中で多感な時期を過ごした俺には正直に言って、とても魅力的な物語の再構築に感じられるし、良いモノだと絶賛できる。
今回からの一連のヱヴァンゲリヲン新劇場版は「90年代に生きた彼等の為の物語」から「ゼロ年代と言う今を生きる僕らの為の物語」へと変容しているんじゃないかな。

だから、90年代的な思想の中でどストライクに過ごした人や前述したスタンス*6で生きてきた人間やそれを信じた人にとっては余り心地の良い出来ではないんじゃないかと思う。
彼等のメルクマールだったエヴァが手のひらを返したかのように「自己選択する」事に憤りすら感じるんじゃないかな、と。
将に旧作品内のシンジ君状態で「ひどいよ!信じてたのに!」みたいな。


でも、現在進行で物語られている物語は人と同じで時代や時間を無視して停滞する事は出来ない、っていうメッセージだと俺は思うけど。監督からの。


お前ら、何時まで何かにしがみ続けて言い訳しちゃってんの?みたいな。

もう、いい加減、自分で選べよ。シンジも自分で選択したぞ。みたいな。



まぁ、でも、やっぱり、破からは特に「選択する物語」と言う正統的な物語性を獲得しているように感じるな。
何ていうか。肉と骨を覆う新しい皮膚として、ゼロ年代にフィッティングされている。そんな感じ。
本放送は本放送でやっぱり当時の思想にフィットした皮膚を与えられていて。

それでいて、最終的にはやっぱり物語としての正統性を求めて、王道を目指して邁進しているような印象を俺は破から感じたかな。


真面目に詰まんない妄想はこんな感じ。


ゆるい話的には、兎に角、皆、凄く愛したい存在になった(笑)

本放送とは違って、尖り過ぎていた部分を研磨して人として延ばすべき場所は延ばしていて、実に観ていて気持ちが良い。
監督の言うとおり「エンターテイメント」性が充分に高まってると思う。
人として壊れてないから、大多数からの嫌悪感が薄くなってる感じ。これも多分、嫌な人は嫌だろうね。
エヴァのカルト的な部分が好きな人にとってみれば、改悪だろうしね。
俺はエンタメが重要と考えるタイプだから、特に問題なく、というか、寧ろ、こっちの方がよい。

アスカやレイがあんなに可愛いと思ったのも初めてだし、学園パートは清涼感を与えてくれた(笑)





とまぁ、見事にだらだら話しが纏まらずに書いてしまいましたが、そんな感じです。

なんかもう、書いてると次から次へと書きたい事が出てきて収集付かなかったです。本当、ここまで読んだくれた方々。
全力でごめんなさい。乱文ですいませんでした。

あー、もう少し、人に上手く伝えられる言語感覚が欲しい(笑)



然し、まぁ、それにしても、面白かった!エヴァ!時間作ってまた観に行くぞー!

*1:あくまで素人感想ですが

*2:立ち位置と言っていいか解らないけど、それを明確にする事で世代毎の捉え方もはっきりすると考えているので

*3:記憶が確かであれば

*4:そりゃ人造人間って言ってるからそうなんだけど(笑)当時は「えー」と思ってた

*5:終わらされた

*6:「他者を傷つけるのならば、あえて他者とは断絶する事を選択する」